THE  PLATFORM
     
『 政 治 政 策 』




第一条 (文化)  
我々は、日本国民統合の象徴にして元首である天皇の神聖護持、歴史尊重・伝統保護・文化育成を図る文化政策を要求する。


第二条 (統治)  
我々は、首相公選制の導入、直接民主制に基づく公職選挙、国家安全保障に資する憲法改正を要求する。


第三条 (行政)  
我々は、国家を中心規範とする公務員制度改革、地方公共団体と独立行政法人の統廃合による行財政改革、公務員の労働組合活動の禁止を要求する。

第四条 (外交)  
我々は、自由と人権を守る日米同盟の強化、非民主的な共産主義諸国による間接侵略を阻止する外交政策を要求する。


第五条 (国防・治安)
我々は、主権・国民・領土の完全保全を果たす国防軍と核武装の実現、民間防衛の拡充、スパイ防止法の制定を要求する。


第六条 (資源エネルギー)
我々は、国家安全保障に基づく原油等の資源の確保、自然再生エネルギーの開発推進、安全を最優先した原子力発電所の建設を要求する。

第七条 (農業・食糧)
我々は、農産物を主とする食糧の完全自給、農業の自由な営みを阻む諸規制の廃止、国民の生存に不可欠な水源と食糧を確保する経済安全保障の確立を要求する。

第八条 (教育)  
我々は、自由主義教育の推進、共産主義教育を普及する公的組織の禁止、多種多様な教育機関の発展を促す教育環境の整備を要求する。

第九条 (報道)  
我々は、捏造報道規制法の制定、記者クラブ制度の廃止、情報通信業の外資規制の強化を要求する。


第十条 (国際化社会)  
我々は、敵国からの移住と移民の禁止、帰化条件の厳格化、外国人参政権等の政治工作を行う在日外国人の強制送還、敵国の政治工作機関の活動禁止を要求する。

第十一条 (経済)  
我々は、財政政策と金融政策の緊密な連携による景気対策、国家安全保障に基づく管理貿易の促進を要求する。


第十二条 (財政)  
我々は、政府貨幣の発行による財政収入の安定化、自然災害対策等の公共事業拡大、特別会計の一般会計化を要求する。


第十三条 (金融)  
我々は、日銀法改正による日銀の政府管理、国民の雇用を守るため国際資本移動の規制強化を要求する。


第十四条 (税制)  
我々は、法人税優遇税制の改正、逆累進性の高い消費税の廃止、富裕層の累進課税の強化を要求する。


第十五条 (社会保障・雇用)
我々は、公的年金制度の一元化、最低所得保障制度の確立、雇用の安定化を促す労働規制の強化を要求する。


第十六条 (医療・福祉)
我々は、医療・福祉・介護の各分野の政府系サービス化による労務単価引き上げ等の改善と拡充を要求する。


第十七条 (自然環境)
我々は、自然環境を保護し、動植物の生態系を破壊せずに共存共栄する循環型社会の構築を要求する。



公布日 : 2015年 2月11日






          
日本と欧米の大学は正反対
     
小室直樹 博士著 「日本国憲法の問題点」より抜粋



日本の大学は国家のために作られた。このことは多くの日本人にとっては当たり前のように思われるかもしれないが、 実はこれ、大変なことである。というのも、欧米の大学は日本の大学とはまるっきり正反対の歴史と性格を持つからである。

ヨーロッパで大学が誕生したとき、それらはすべて「私立」であった。権力と関わりのある大学など、一つもなかった。そもそもヨーロッパにおける大学とは、 公権力からの自立を目指して生まれたものであって、「権力が作る大学」なんて矛盾もいいところなのである。

ヨーロッパで大学が成立したのは一二世紀から十三世紀にかけてのことだが、これ以前のヨーロッパに高等教育機関がなかったわけではない。立派な設備を持ち、書物を多数蓄えた学校はあちこちにあった。しかし、そうした学校(スコラ)はすべて「紐付き」、つまり権力の保護を受けていた。

具体的にいうと、教会や王権が作った学校であった。したがって、そうした学校は教会の聖職者や王の官吏を養成するためのものであったわけである。だが、 ヨーロッパも12世紀から13世紀に入ると、そうした学問に飽き足らない人たちが現れた。権力とは関係なく、自由に学問を追求したいという風潮が生まれてきたのである。その直接のきっかけを作ったのは、イスラム世界に対する十字軍だった。   

当時のイスラム世界はヨーロッパとは比較にならぬほど学問が発達した地域であり、中でも、古代ギリシャや古代ローマの古典研究に力を入れていた。十字軍によってイスラム世界を訪れたヨーロッパ人は知的刺激を受けて、ヨーロッパの学問水準を向上させようと考えるようになったのである。

そこで、イタリアのボローニャでは学生たちが集まって組合を作り、教師を雇うという動きが生まれた。これが一〇八八年に出来たボローニャ大学の始まりである。これとは反対に、まず学者の組合が出来て、学生を教えはじめて出来たのがパリ大学である(一一五〇年頃)。

このことからも分かるように、ヨーロッパの大学は最初から権力とは無縁であった。「大学の自治」という概念、あるいは「学問の自由」という概念は、こうした大学の姿から生まれてきたものであった。勿論、権力の保護を受けないのだから、ヨーロッパの大学はその初期において校舎も設備も全くお粗末なものだった。

例えば一一七〇年に出来たと言われるオックスフォード大学も、筵(むしろ)の上に学生が坐って講義を受けたと言われるくらいだ。校舎もなければ、机も椅子もない大学! しかし、これこそが本当の大学なのである。

筆者がM I T (マサチューセッツ工科大学) に留学した折、サミュエルソン博士(経済学者。一九七〇年、ノーベル経済学賞受賞)から聞いたことだが、初期のハーバード大学もまた同様のスタートであったという。

「丸太の向こうの端に先生を坐らせ、こっちの端に私を坐らせれば、それが最高の大学である」 この博士の言葉のとおり、創立間もないハーバード大学は設備こそ何もない、青空教室だったけれども、当時としては最高の教育を施していたというのである。



発信日 : 2002年  9月 5日


人文科学・社会科学・自然科学を網羅する数々の不朽の名著を通じて、物事の本質をわかり易く啓蒙した孤高の思想家 小室直樹 (1932〜2010) 先生は、 2010年9月4日、本学関係者など多くの人々に惜しまれつつ、 ご永眠されました。 謹んで、ご冥福を お祈り申し上げます。